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書こうか迷ったのですが、今日は父の初七日なのでちょっとでも供養になればと書かせて頂きますね。

1月から3月にあった事を書きます。
+私のグダグダな考えも入ってるのでクッッソ長いです。
あと闘病や死に関しての記録なので苦手な方は見ない方が良いかと。

------


母が胃潰瘍で急に倒れて2週間ほど入院して、退院してから今度は父が2月頭に体調を崩して急患で夜間病院に行ったんだけども、その時はすでに体調も落ち着いていた為、翌日に病院で診てもらってって話になり帰宅。

その翌日病院に行って検査、どう考えても体調を崩した内容からして脳と胃を検査した方が良いのに診察して検査してくれたのは心電図と尿検査。
それだけ?!大丈夫なのかよ?って思ってその日は帰宅。

この日は母も検査で再診だったんだけど、私は、状況説明が下手くそな母の方についてしまっていたので、父の方に付き添っていればなぁと後後、思う事に…。


で、その数日後にだるいって言って寝込む父。
病院に行ったし風邪もらったんかなぁって呑気に構えてたらその翌日に箸が持てないペンが使えない状態に。
これは流石におかしいなと思って更に翌日病院に連れて行ったら脳梗塞でした。

小さい脳梗塞が複数できていたみたいです。

凄まじく病院が嫌いな親父を無理矢理病院に連れて行くのは大変だった。
具合が悪くなる数日前にも、病院に行って検査しろよ、子供じゃないんだからって喧嘩をした日があったし、寝込んだ日にも病院に行こう良くなるからって言ってもめっちゃキレるし。

けど、もっと早くどうにかして連れて行けばこんな事にはならなかったんかなぁと今になって思う…。
で、脳梗塞の為、即入院。

お医者さんの話によると、じっと寝ていたせいもありエコノミー症候群になっていると言われた。
下手すると死の危険性もあり今のところ一番心配なのがエコノミー症候群だけど、とりあえず血をサラサラにする薬をいれて、脳梗塞も薬で治療しつつリハビリしていけば治るからって言われて、エコノミー症候群で血栓が動かなければ現段階では命に別状はないんだなって思って、毎日見舞いに行っては、不味いって嫌がる病院食を食べさしたりいつ退院出来んの?とか言われたりもうすぐだよーなんて話してたんだけど、入院してから丁度一週間経ったくらいに、なんと突然喋れなくなる父。

利き手も今までは上がっていたしスプーンもなんとか使えたのに、全く動かず。
頷き、首振りと突然ベソをかくくらいのリアクションしか出来ない…。

全然言葉を発しない。
空中を見つめてボーッとしてる父を見て、えっ、なんでこんなことに?!ってすんごく凹んだ。

で、ここからはもうずっと下り坂。
痰も溜まるし自分で出せないレベルだし、飲み下しが出来ない嚥下障害になる。
なので定期的に痰を吸引しなきゃいけない、肺炎の可能性も出てくる、物が飲み込めないのでご飯を口から食べれない、リハビリのスタッフさんが入るけど結局はなにも出来ない流れに。

そして更になんでこんな事にな事態が起こる。

父が喋れなくなったのと嚥下障害の原因はまた別の小さい脳梗塞になった為。その原因は癌だった。

癌がもう腸と胃と肝臓などなど身体中に転移していて、癌のせいで脳梗塞になったんだと。
高齢の為、手術も無理、抗がん剤も無意味で手の施しようがないと言われ、じゃあもうとにかく苦しくない痛くないようにして下さいと医者に頼む。

で、私はまだ喋れた頃の父にすぐ家に帰してあげるからって約束をした為、医者に家に帰れるか相談をしたところ私一人では絶対に介護は出来ないし現実と理想は違うからよく考えて。と言われてしまう。

私以外の家族は父を家に連れて帰るのは賛成していなかったので本当に悲しかったし悔しかった。
なんで反対していたのかと言うと、やはり病院の方が何かあった時に安心だからと言う理由で。

私としては喋れないけど、私たちの話してる意味は理解してるから、病院にいるのも理解してるはずと思ってどうしても自宅に帰してあげたかった。

やっぱもう何も出来ないなら安心出来る家で最期をって思ってた…。しかし私一人の力ではどうしようも出来なかった。クッソ情けなかった…。
こればかりは、本当にお父さんに謝りたかった事です。


そして検査をしたところで何も出来ないのに、腫瘍がどこにあるのか知りたいと直腸検査をするからって下剤を無理矢理沢山飲まされて胃がパンパンになってしまい、既にどっかで腫瘍によって塞き止められいたのか便が出切らず吐いたり圧迫感で苦しんでいました。

で、結局検査出来たのかと言うと、出来ませんでした。なら初めからやんなよって言うね。

胃に溜まった物を鼻からの管で出しながら痰吸引をし、腹の圧迫感がなかなか取れず辛い日々を過ごしてました。
その頃は私も見てるのがだいぶ辛くて早く楽にならんかなぁ、せめて痰が出なきゃよいのになー、痰吸引が痛そうだしホント嫌だなぁと思ってました。
たまに、ん?って声を出して返事をしてくれたりしたが、日に日に反応もなくなる父をみて悲しくなったけど、同時にこのままボーッと現状がわからなくなった方が幸せかなぁとぼんやり考えてました。


何も飲まず食わずなのに相変わらずお腹が苦しそうな日々が続き、だんだん痩せて黄疸が目立ってくる父。

3月27日の深夜2時に病院から父の容態が良くないと電話が来る。
私はそろそろ寝るかなぁと思ってた時だったのですぐ対応出来たんだけど、寝ていた母を起こし病院に向かう。
血圧や脈拍がだいぶ下がって尿もほとんど出てなくて危ないかなと思い呼んだと看護師さんから説明。

兄貴二人を呼んで、次男が先に来る。長男来るまでオトン頑張ってと励ます。

私たちが来て安心したのか容態は安定しました。
この日は朝5時に一度母が家に帰り、次男も安定しているのを見届けて仕事に向かった。私はずっと父のそばにいてうつらうつらしていた。この頃はあまり痰も溜まってなくゴロゴロしにくくなっていた。
けど頭や腕をだいぶ動かしていて、無意識なのか何か言いたいことがあったのか、最早私には理解する術はなかったが、オトン寝なさいよって話をしていたらスヤスヤし出したので私もスヤスヤしてました。

この日は看護師さんに足を綺麗にしてもらったり、髭を沿ったりした。で、昼くらいに長男達が到着し、オカンも再び病院に来た。
私はあんまり寝れてなかったので、オトンに一回帰って寝るね、すまんね…と言って帰宅し爆睡しました。
夜にもう一度行こうかと思ってたのだけど、そのまま寝てしまった。

翌日28日、午前中は次男ファミリーが見舞いに。昼くらいから彼氏と親友を連れて見舞いに。
親友は急に来てくれると言って合流したのでだいぶ待たせてしまい申し訳なかった…!
父の部屋に着くと昨日より息がかなり苦しそうだった。やはり昨晩から居ればよかったってちと思った。


父が好きだった美空ひばりをかけながら、オトンに色々話す。
親友の事も彼氏の事もうちの親父は可愛がっていたから、皆でオトン無理しなくて良いからね自分の好きなタイミングで行けば良いからね。
安心しなさい!とか、お世話になりましたとか、親友と小さい頃親父にはよく怒られたよねーとか昔話をしながら笑っていたりしたら看護師さん達が父の体勢を変えに来た。

変えてから急に心拍数が180に。モニターの文字も赤くなって点滅してた。
息もかなりキツそうに足がばたつく。

これは、うちら3人で看取るかなとか、このままいっちまうかなーって冷静に頭で考えながら、苦しいのもあとちょっとだよーって父に声をかけていたら心電図なのかな?モニターが明らかにおかしいんで看護師さんが3人部屋に来て、ご家族呼んで下さいって言われ、やはりか。と思い電話しようとしたらオカンから丁度電話が。
オカンに状況説明をして今から来てくれ、でも到着まで持つか分からんって話をしたら、えっ??!ってかなり驚いてた。

で、オカンが来て、次男が来て、長男と嫁さんが来てくれた。
最初からいた我々3人はオトンの見舞いをしたら飯を食おうって話をしていたけど、すぐ帰らなくて良かったなぁと思った。
息もだいぶ苦しそうなのに口内を洗浄されてすげー辛そうだったな。
やめてください、もういいですって言うべきだったか…。オトンには大丈夫、これが最後だよって言ってホントに最後になったけど、どうせならしなくて良かったよね…。
痛そうだったし、終わった後の親父のキレた表情は完全にご立腹のご様子でしたわ。まぁ、看護師さんは良かれと思いやってくれたんだろうけどね。少々力強過ぎる印象はあったけど笑

家族が皆到着してからはずっと心拍数が180を切って低くなっても150台。身体で呼吸をしていました。
痰でも引っかかっていたのか、肺の機能が停止していたのか、脳が酸素を送りたくて頑張っていたのか、最後はだいぶ辛そうな呼吸でした。

だんだん酸素量を測るメーターも測定不能、血圧も測定不能に。
そして心拍数が下がって来たかな?と思ったら0に。


目はずーっと開きっぱなしだったんだけど、最期の最期は自力でゆっくりしっかりと目を閉じ永眠しました。
3月28日19:45だったかな。

家族、私の彼氏、親友、皆に見守られての最期で良かったと思った。
でも長い間、大嫌いな病院で寂しい思いをさせてしまってごめんね、本当に。


棺桶に入れられたオトンはホント漫画みたいな感想でアレなんだけど、ただ寝てるように見えた。あんまり死んだ!!って実感はなかったなぁ。
頬もこけてたんだけど、棺のオトンはふっくらして見えました。


平日なのに父の古くからの友人のお隣さんと、甥っ子と姪っ子、彼氏と親友も葬儀に来てくれて、骨上げもしてくれました。
火葬場に着いていよいよ火葬をする時に、ついにお父さんの形をした存在ともお別れになるんだなぁと思って淋しかったが、涙は出なかった。

けど骨になり確認をして下さいと係りの人に言われて兄貴二人と私で確認に行ったんだけど、初めて生の人骨をみてすげえって一瞬思ったんだけど予想以上に骨がバラバラで、これお父さんなの?頭蓋骨もちゃんとした形じゃないんですけどって泣き出してしまった。しかも何故か分からんけど泣き笑いしてました…笑
兄貴に泣いてるの笑ってるのどっちなのってツッコミ頂きました((
意味分からんくらいの焼きあがりの香ばしい匂いに笑っちゃったのと、お父さんが燃やされて本当の意味で目に見える形あるモノがなくなったのが多分悲しかったんだろうなと。

私を慰めてる彼氏も泣き出してしまうし、私はみてなかったんだけど、兄貴たちも泣いてたらしい。
お袋は『こんな風になっちゃうんだねぇ…』って呟いてた。
父の死より、葬儀より何より一番悲しかったのはこの骨とのご対面だった。


そしてやっとこ念願のお家に帰ってきました。骨になってから帰ってこれてもあんま嬉しくないよなぁ…ってぼんやり思いながら、でもおかえりお父さん。

父は78歳でした、楽しい人生だったかな?またあの世か、もしくは来世で会いましょう。


ここまで読んでくださった方がもしいるなら、ありがとうございました。本当に容赦ない長さでごめんなさい!


今日は三途の川を渡る大事な日らしいですね。父がちゃんと渡れていますように。


☆☆☆☆☆


話は変わるのですが、ちと残しておきたい話を。

お正月にあった鏡餅の話。


今年の1月7日に、私が餅を食べたいからもしあったら後日食うからとって置いてと親父に言った時に、今すぐ食べたいと勘違いした父が餅がなかった為に鏡餅を割っちゃったんです。

鏡開きはまだだったんだよね。
で、割ってしまったものは勿体無いしと七草粥に入れて私が食べました。

そしたらかーなーりーお腹を壊し、ちょっとした怪奇現象が起きたりと、おかしい…と思い、鏡餅が何故か気になり鏡餅の風習を調べたらなんと鏡餅は神様のお宿だったとかで。
期間内はお餅の中でゆっくりしているらしく、それをぶち割って食った私たち。

盛大な罰が当たりました。

因みに私はだいぶ謝ったのですが、父はあまり風習を信じてなくて、ちゃんと謝ったのか謎のままでした…。
今頃もしかしたら神様に叱られているかもしれません。

皆さんも鏡餅は気をつけて下さいね。
ネットで見る限りだと、台所を守ってる神様は怒ると家を燃やす事も出来るみたいです。
台所にお供えしていたお餅だったので、もしかしたら台所の神様なのかな?

百か日が過ぎたらちゃんと静岡へ行き年神様に謝ろうと思ってます。


以上になります。書き記しておきたかったので、長々とスミマセン!
近況と言えるかわかりませんが、近況でした。

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